創業の精神
〜1892年からの歩みと挑戦〜
純糧、建仁寺納豆
創業当時の看板
京都のお菓子問屋の老舗、青木光悦堂は、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)さまの菩提寺である光悦寺から名前を頂戴し社名を「光悦堂」としました。
「頼りになる問屋」、「愛される問屋」を目指し、菓子職人の魂のこもった『心なごむ故郷の銘菓』で、お客さまの喜びを創造することを創業の精神として精進し、「一つ一つを丁寧に、一人一人を大切に」の心で、本物の銘菓を日本中に、世界中にお届けします。
1892年からの歩みと挑戦
臨済宗建仁寺派の大本山 「建仁寺」とのご縁が今日の我社の礎です。
創業者である青木タカが「建仁寺納豆」の名で、 「建仁寺」の御用達として、 明治25年に創業しました。創業当時の看板は、向かって右から 純糧「建仁寺納豆」と書かれています。
今も創業者の魂を受け継ぐように、 当時の看板を掲げています。
大事なたすき
襷を繋いで百十七年。
それは、明治二十五年青木タカの志から始まった。
京都市東山区建仁寺町(現小松町)にて、臨済宗総本山建仁寺の御用達として納豆の製造を始めました。
社名は本阿弥光悦さまの菩提寺である鷹峯の光悦寺から名前を頂戴し光悦堂としました。
二代目久三郎が菓子問屋を始め、三代目久太郎が昭和五十一年、株式会社青木光悦堂を設立。
タカの念いを受け継ぎ平成十三年より四代目隆明が社長に就任。
「頼りになる問屋」、「愛される問屋」を目指し、日々改革の精神で勤労、勤勉に今日まで努め、
本物のお菓子を求めた厳格な姿勢の精神が今でも脈々と私たちに流れています。
それは、本阿弥光悦の「十人中、五、七人が正宗の刀と極めても、確かに〈正宗〉だと極めない厳格な姿勢と強い倫理観、そして、刀目利きとしての自信」を受け継いでいるからと思われます。
菓子職人の魂のこもった『心なごむ故郷の銘菓』で、お客さまの喜びを創造することを創業の精神として精進しています。
そのためにも「一つ一つを丁寧に、一人一人を大切に」の心で、本物の銘菓を日本中に、世界中にお届けします。